報復心を未来に解き放つ日記

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仮面ライダーアマゾンズ 全部まとめて感想

今回の感想は一話づつではなく全体的に。

いつものことだが殴り書きのように思い付いたことが並んでるので読みにくいと思う。

そもそも見てることを前提に書かれてるのでストーリー解説とかほしい人は回れ右だ(笑)





野生VS養殖
元のアマゾンを、リブート?リニューアル?リメイク?したらバイオレンスマシマシになったよ!(笑)

人を食べる怪人アマゾン。
ある意味人間の上位互換の存在であり、本能として人を食べる。
その存在は人を脅かすことになる。
アマゾンを狩るためにアマゾンとなった鷹山仁。
新たなアマゾンとして産まれた水澤悠。
アマゾンを殺すべきか救うべきか。
食うか食われるか。
人類のために皆殺しにしようとする仁さんと、アマゾンも生命として生かすべき者と殺すべきものを選びながらも守る道を選んだ悠。

そもそも、人は食物連鎖の頂点に一応立ってるが、そうでなくなったらどうなるのか。
アマゾンは食物連鎖において人間の上に立つ者達である。
争うしかない。
人が生きるのなら。

だから鷹山さんはアマゾンを狩る。
人はアマゾンに食われるには覚悟が足りなかったとシーズン1で呟いてた。
だが一度産まれた命を都合が悪いと殺しても良いのか。

だから悠は殺すべきものとそうでないものを選ぶ。一見正しいように見えるが、これもつまりは自分の都合で相手を選んでいるということだ。

そんなふたりの争いに決着がつくわけがなかった。
ふたりの争いは善悪ではなく本能に関わることだから。言葉では解決しない。
ならば最後は殺し合うしかない。
(ここまでがシーズン1)


五年後、変異したアマゾン、溶源性細胞が発生して数万のアマゾンが生まれる。

皮肉にもこれは仁さんと悠が元凶である。

仁さんはシーズン1で対アマゾン毒ガス浴びたりしていたために体のアマゾン細胞が変異をしていた。
そもそも仁さんは人にアマゾン細胞を埋め込んでいるタイプのアマゾンなので通常のアマゾンとは異なる。どんな変化が起きてもおかしくはなかった。
ガスの影響は一時的な自我の喪失を起こした。
その間に愛する人を孕ませていた。
それがどんな結果になるのかわかっていた。
産まれる子供はアマゾンになる。
七羽さんにもどんな変化があるかわからない。

だからこそ仁さんは子供を殺そうとする。

だが悠はそれを阻止した。
悠はまだ何の罪も犯してない子供を殺すべきではないと仁さんを止めた。


その結果がシーズン2なわけだが、酷すぎる(笑)

仁さんは愛する人を殺すことになり、その忘れ形見の息子もその手で殺すことになった。幸運だったことがあるとすれば目が見えてなかったことでふたりの死に様を見なくて済んだということか。

悠はその時に正しいと信じて、七羽さんを匿い、仁さんを殺さず、千翼を生かそうとした。
だが全てが裏目に出た。

だからシーズン2は責任を果たす物語なんだろう。
やってきたこと、選択したこと。
その責任をみんな代償として支払った。

旧駆除班メンバーはマモルを放置した責任を。
仁さんは自覚が無くとも行ってしまった罪に対しての責任を果たすために愛する人と息子を。
悠はどっち付かずのあやふやな選択のツケを払うことになった。

シーズン2はデッドエンドということになる。
バッドエンドではなく、デッドエンド。
千翼の死をもって物語が終わるからだ。
悲しい結末だが、バッドエンドだとは思っていない。
子供は自ら産まれることを望んで産まれてはこない。
誰かが望まなければ産まれることはない。
千翼は望まれて産まれた。
だがそのあとは違う。
生きるのか死ぬのかは誰が望もうと関係がない。
自分自身が生きたいのなら他人など関係がない。
産まれた命は死ぬその瞬間まで生きたいと願って良いのだ。
自分のせいで世界中の人間が化け物になってしまうとしても。
なぜなら、元々好きでこの世界に生まれてきたわけではないのだから。
産まれたあとのことは全てが自分と他人の都合である。
だから千翼は『それでも生きたい』と願って良いのだ。
そしてそれでは困ると、『死んでくれ』と、生存を望まない全てと闘うことになる。
善悪じゃない。
生きたいと願う生命の本能だ。
人間にしてみればたまったものではないが、あいにく千翼はアマゾンである。
だから生きたいと願う千翼を責める気は無い。
だが人間としては「それは許されない」と答えるしかない。
だからこれはデッドエンドだ。
千翼は少なくとも最後まで生きることを諦めなかったから。
あえて突っ込むなら、映画の曲のeat kill all は、千翼のための言葉な気がする。
生きろ(全てを喰らい殺せ)
まぁ、千翼は人として生きたがってたんだが。
(シーズン2ここまで)



で、劇場版はこの答えの無い物語の決着をつける物語だった。

人類を守るために全てのアマゾンを殺す戦いをしていた仁さんは、ついに人間を殺した。人は殺さないと決めていたにも関わらず。
だがこれはいずれあり得た話でもある。
全てのアマゾンを殺すために戦ってたはずが、自分が原因でアマゾンが増える事態になった。
それも二度も。
そして今回の劇場版でアマゾンを増やしたのは人間だった。
アマゾンはそもそも人間が作った。
ならば全てのアマゾンを殺したあとは、アマゾンを生み出す全てを根絶やしにするしかない。
仁さんはいつかは人間を殺すことになっていたかもしれない。
そしてついにその線を越えてしまった。

悠はまだ、答えの無い問答に迷い続けていた。
そのために、悲劇を避けることができなかった。
仁さんを止めるためには、
この映画のアマゾン牧場を止めるためには、
線を越えるしかなかった。

互いに線を越えた後は、やはり会話など無用だった。
仁さんは例え人を食べなくても生きられる草食のアマゾンであっても殺す。
悠は仁さんを止めたい。みんなを守りたい。
ならばすべきことは一つだけだった。
悠は仁さんを殺すしかなかった。
もっと早く手を下していたなら、アマゾンが根絶寸前まで追い込まれることは無かったかもしれない。
どうあれ、悠も戻れない線の向こう側に至った。
人を殺し、アマゾンの肉を食べた。
仁さんと同じく。
つまり、『私はアルファでありオメガである。』
ということなんだろう。

最後の審判とは、
人を殺しアマゾンの肉を食べた罪を、
生きて償い続けるという罰なのか。

唯一の希望は、草食アマゾンの生き残りと美月の生活が始まったことだろうか。
彼女らはまだ罪を負ってない。

こうして答えの無い物語は、孤独に生きる最後のアマゾンが去って終わった。

(シリアス終了)


そもそもネオアルファさんって人間だったの?(笑)ベルト使ってるならアマゾン細胞埋め込んでるんだよな?つまり仁さんパターンか?
っていうかあの流れで自分が殺されないと確信してるの本当に笑える。最悪『殺してないから、重症だからセーフ』で手足もぎ取られて放置されるパターンもあり得たし。

っていうかアマゾン牧場って、溶源性細胞のこと考えたらヤバくね?食べた人アマゾンになるんじゃないの?よく焼け!レア肉はダメよ!細胞死ぬまで焼け!(笑)

ニューオメガ良いとこ何もねぇ(笑)
むしろ弱体化してるんじゃないのかこれ。

とりあえずなんていうかニチアサでは不可能だったが、いろいろ考えさせられるテーマだったよ。
つまりはソイレントグリーンはアマゾンだったんだぁー!(笑)
食料の問題は存在するわけで。
一方で食べ残しもまた存在する。
台詞におぞましさを感じるお客様達だが、
一方で彼らの行為は普段の我々と同じだ。
食べてるものが会話できるだけの知性があるかどうかだ。
牛や鶏がしゃべって「食べないでくれ」と言い出したらあなたはどうするのか。
俺はわからない。
少なくともこの映画を見た後はしばらく肉は遠慮したい気分になった(笑)

とりあえず自害するなら入水自殺はよせ。溶源性細胞のこと忘れてんのか(笑)