ゲーム発売直後からマッハでメインストーリーを駆け抜けたうちのヴェノム君が鏡をガッシャーンしたあたりで、俺はまるでクスリがキレたグレイフォックスのごとく叫んだ。
または、ポータブルオプスの例のシーンでのビッグボスみたいな。
実際には深夜だったので声を失った叫びであった。クワイエットでいたかったわけではない。
この時ビッグボスに対しての怒りがあったのだが、当時俺は『どうしてこんなにも怒っているのか』わかってなかった。冷静ではなかった
込み上げる報復心と、とりあえずその矛先にKONAMIを選んでボートを用意したが、今は落ち着いてる。
で、冷静に考えた。
俺が怒っていたのは、顔も名前も立場も全て奪われたからだ。
一応ネタバレ対策をします
プレイしたなら最初の病院を思い返して欲しい。
ヴェノム君は『エイハブ』と名乗ることになった。と言ってもそう呼ぶのはヘリのパイロットだけだったが。
そして、ビッグボスことジョンは『イシュメール』と名乗った。
散々言われてることだがこれは白鯨の登場人物の名前である。
このあとイシュメールはヴェノム君の元の顔に整形して別な道を歩むわけだが、これはつまり
『顔と名前』
を持っていったことになる。
それだけではなく、彼はイシュメールとして去った。
イシュメールは白鯨の語りべであり、唯一の生存者である。
これは俺の考えであるが、ゲームのプレイには二つのスタイルがあると思う。
一つは操作しているキャラクターとプレイヤーが一体となって感情移入していって、文字通り自分の分身としてプレイするタイプ。モンハンとか、フォールアウトとか。
もう一つは操作しているキャラクターと自分を切り離して、その生き様を、背中を追いかけて、キャラクターたちによってつくりあげられた物語を見届ける。プレイヤーはその途中経過を進めていく。大抵のRPGはこれである。
今回の例で言えば、エイハブは前者だった。
そして、いままでのメタルギアソリッドはすくなくとも後者であろう。
つまり、プレイヤーは(というか俺は)イシュメールとしてスネークの物語を目撃する、という感覚で遊んでいた。
だからこそ、イシュメールとしての立ち位置を奪われた形になる。
前回の日記のような語りになった理由はこれである。